第九回バレンタイン企画対応・ホワイトデー企画
2014.3月実施




◆「anemone」×「願望交換局」



「《サワヤちゃんのハートが欲しいです》!」
 ソファに座って前のめりになり、頬を紅潮させてキッパリと願う少女に対し。
「暗殺依頼ということかい?」
 対面のソファの肘置きにもたれ掛って足を組み、半眼の少年はすげなく言った。
 風も少しずつ暖かさを帯びてきた三月中旬の昼下がり、春めいた柔らかな光が窓から仄かに差し込む事務所にいる人間は、現在三名。
 一人目は事務所のやや奥、横柄な表情と態度でソファに腰掛ける小柄な少年、トータ。二人目はその後ろ、流れるような所作でティーセットを運ぶ控えめで無表情な少女、ハナダ。
 そして三人目、この閑静でひっそりとした事務所の中ではかなり異質な空気を振り撒く少女、サリナである。
 サイドテールに束ねた橙色の髪の毛を頭ごとブンブンと振り、深い緑の大きな瞳をぱちくりさせながら、サリナは「違う違うー!」とトータの確認を全力で否定した。
「えっとね、ハートが欲しいっていうのはそういう意味じゃなくて、つまり、サワヤちゃんとラブラブになりたいってことなんだよ?」
「さも僕が見当違いであるかのような気遣わしげな補足は不要だよ。察しはついたけれど、あえてブラックジョークで返した僕の気持も少しは汲んで欲しいものだね。大体貴女は、ここまでの僕の説明を本当に聞いていたのかな?」
「もっちろん、ちゃんと聞いてたよ! ここは何でも願いを叶えてくれるお店なんでしょ?」
「何一つ聞いてやしないんじゃないか。その両耳は一体何のために貴女に付いているのかな」
「サワヤちゃんの声を聞くのが一番の目的かなぁ?」
「もう勘弁してくれ、僕は一体この宇宙人と、これ以上どう会話を進めれば良いんだ?」
 眉間に指を当ててガクリと俯くトータと、そんなトータに構うことなく期待に目を輝かせるサリナの間の机上に、完全に第三者を決め込んだハナダが手際よく紅茶を置いて、すぐに下がった。
 サリナがこの法律相談所、いや、『願望交換局』を訪れたのは、今から三十分ほど前のことだ。一か月前、とある催し物で彼女から菓子を贈られたトータは、そのお返しに、この店で彼女の願いを聞く約束をしていたのである。
 だが、いつもの調子でこの店の『交換』のルールを長々と説明した上で、トータが改めてサリナの願いを尋ねたところ、返って来た答えが冒頭のそれだった。
 サワヤとは、サリナが恋焦がれる青年の名であり、彼との恋愛成就はサリナの願望にして希望にして野望である、という話は、トータも催し物の参加者を通じて薄ら耳にしてはいた。しかし、それにしたって直球過ぎるあの願い。これは厄介なことになったと胸中で天を仰ぎながら、トータは抱えたい頭をどうにか持ち上げて平静を装う。
「《何かが欲しい》《何かを捨てたい》などという形で願いを言葉にする必要がある、と確かに僕は説明した。だが貴女の言う通り、サワヤさんのハートを貴女が手に入れたとしたら、それ即ち、サワヤさんは心臓を失って亡くなることになるのではないかな」
「えええ、それは困るよ〜! じゃあねじゃあね、《サワヤちゃんの愛が欲しい》だったらどう?」
「もしサワヤさんが“愛”なるものを所有していたとしても、それを貴女が奪った時点で、彼が誰かに対して抱く“愛”は消滅することになる。“愛”は所有する人物と、向けられる対象があって初めて成立するものだから、所有者から“愛”を強奪したところで、貴女が望む様な結果は得られないだろうね」
「よく分かんないけど、だったらいっそ、《サワヤちゃんが欲しい》!」
「その場合、サワヤさんを所有している誰かと交換する、という話になってくるけれど、恐らく彼の所有権を有する人はいないだろうし、いたとして貴女が交換に成功したとしても、やはり望む結果にはならないだろう。自分が所有するものが自動的に自分に愛情を向けてくれるかと思ったら大きな間違いだ」
 美味そうに紅茶を啜りながらトータはサラサラと意見するが、サリナはいまいち理解できていないのか、ぽやんとして頭上に疑問符を浮かべている。理解させることを早くも諦め、トータはなおも滔々と続けた。
「例えば、サワヤさんに恋人がいるならば、《サワヤさんの恋人である権利が欲しい》と願って、その恋人が持つ権利を貰うことは可能かもしれないね。正真正銘の略奪愛だ。ただし先も説明したように、『交換』が出来る相手はこの世に存在する人間だけだ。今、サワヤさんにそういう人がいなければ、この手は使えない」
「サワヤちゃんに恋人なんていないもん」
「それは残念だけれど良かったね」
 トータの感想にはまるでやる気がない。サリナは紅茶のカップを両手で持って口に近付けながら、ぷー、と頬を膨らませる。
「じゃあ、サワヤちゃんとラブラブに、っていうサリナの願いは、このお店じゃ叶えられないってこと?」
「そうは言っていないさ。貴女と同様の願いを抱いてこの店を訪れる客は、実際のところ、うんざりするほど多い。絶妙な願いで意中の相手を射止めた人も中にはいた。が、大半は散々な結末に終わっているね。それだけ、人の心などというものは扱い難い、ということさ。だけれど」
 そこで一旦言葉を切ると、トータは姿勢を正してカップを受け皿にカチャリと置き、真っ直ぐにサリナと向き合った。
「この店の力など借りなくとも、ほんの些細なきっかけ一つでいとも容易く動かせる。それもまた、人の心と言うものだよ」
 納得したのかしないのか、サリナはカップで両手を温めたまま、むう、と唇を尖らせる。すると、トータのカップにそつなく茶を注ぎ足し終えてから、さりげなくハナダが口を挟んだ。
「トータ。この流れで誤魔化して彼女をお帰ししてしまったら、お菓子のお礼にならないわ」
 カップを持ち上げかけた姿勢でトータが硬直し、ぎくり、と小さな音がする。ハナダの言葉の意味が頭に浸透していくにつれ、じわじわと不審の色が滲んできたサリナの渋い顔に、トータはコホンと一つ、不自然な咳払いをした。
「貴女の願いそのものをこの店で叶えるのは難しい。けれど、貴女の気持ちを少しだけ紛らわせる程度なら、お役に立てるかもしれないね」
「え?」
 思わず聞き返すサリナの前で、トータは徐にソファから立ち上がる。きょとんとするサリナとハナダを順に見て、トータは事務所の玄関へ足先を向けながら告げた。
「ハナダと話でもして、しばらく待っていて貰えるかな、サリナさん。僕は準備の為に、少しだけ出掛けてくるよ」


 十数分後。小さな袋を手に外から戻って来たトータに連れられ、ランタンの光だけが頼りの真っ暗な地下室へと案内されたサリナは、壁一面を大小様々な抽斗で埋め尽くされたその光景にゴクリと息を飲んだ。
 抽斗、抽斗、抽斗。その異様な内装は、思わず逃げ出してしまいたい気持ちに駆られてもおかしくないはずなのだが、トータとハナダが平然としている為だろうか、サリナにも不思議と、この場所そのものから威圧されているような気分にはならなかった。
「さて、サリナさん。ささやかだけれど、これは僕から貴女へのお返しだ。中身は今買ったばかりの、ただのチョコレートだよ」
 そう言ってトータは、袋の中から取り出した小さな箱をサリナの手にぽんと渡した。オレンジ色のリボンで飾られた焦げ茶色の菓子箱である。意外な場所とタイミングでのお返しに虚を突かれたが、サリナは素直に喜びを表す。
「わ、ありがとう! でも、何でチョコレ」
「これでそのチョコレートは、貴女の所有物になった」
 サリナの疑問に被せ、トータは言う。へ、と目を瞬かせるサリナに不敵に微笑みかけて、トータは彼女に前進を促した。チョコの箱を両手で持たせたまま部屋の中央に立たせ、トータは背伸びをしてサリナの耳に囁く。
「こう言ってみると良い」
 そうして教えられた、決して長くない一文を、サリナは訳が分からないままに、ほぼそのまま復唱する。
「《このチョコをサワヤちゃんに押し付けたい》」
 トータは頷き、そして迷いなく歩き始める。彼から見て右前の壁に近寄り、サリナを傍まで呼び寄せると、その目の前にある一つの抽斗に空けられた窪みへと、彼が持つ金色のペンダントを嵌めこんだ。そっと回した。
 音もなく開かれた小さな抽斗から溢れ出したのは、赤い光の花だった。
 丸い花弁を幾重にも持つ半透明の大きな花は、抽斗から湧水が出る上に乗っているかのように、ふわりふわりと零れ落ちては宙を滑ってサリナへと流れてくる。散った花弁が暗い地下室に漂って、淡い美しい赤い光をヒラヒラと浮かび上がらせる。
 花筏となって押し寄せた光は、箱を持つサリナの両手を埋めた。重なり合って強さを増した光の眩さにサリナは目を細め、箱の姿を見失う。
 やがて静かに流れ切って、光と色を失って花が消えた時には、サリナの手にチョコレートの箱は無かった。
 代わりにそっと載っていたのは、サリナには全く見覚えのない、可愛らしいガラスの小瓶。コルク栓が閉まった口元にはピンク色のリボンが飾られ、その中には、淡い色合いの大きなキャンディーがコロコロと詰まっていた。
 瓶を見つめたまま、声もないサリナ。その後ろで、指に引っかけたペンダントをくるくると回しながら、薄く笑ってトータは言う。
「貴女はサワヤさんに、先のチョコレートを《押し付けた》。だから貴女は、サワヤさんが所有する、チョコと同程度の価値がある“要らないもの”を押し付けられたということさ」
「それってつまり、これ、サワヤちゃんのキャンディーってこと?」
「買い出しのおまけで貰って、処分に困っていたようだね。彼は甘いものが苦手なようだから。尤も、サワヤさんは他の甘党なご友人に押し付けるつもりだったらしいけれど。何はともあれ」
 トータはパシリとペンダントを掌に受け止め、頭から被って首に引っかけた。
「貴女は彼にチョコレートを贈り、彼は貴女にキャンディーを返した、というわけさ」
 それは詐欺同然の、本来の意味は一切成さない偽りのプレゼント交換。
 それでも、サリナがどう思っているかは、両手で大事そうに小瓶を握り締める彼女の顔を見れば分かった。

 ほんの些細なきっかけ一つ。それだけで、人の心は動かせる。



「ねこの缶づめ」/ぁさぎ様へ
 キャラクターリクエスト:沙梨菜&トータ=リーグマン





◆「北の大地に花束を」×「ノンフィクション」



 先とは、急いでいる時に限って急げないものである。
 街道から少し離れた森の中、草木の生い茂る山道を一人歩んでいた黒髪黒装束の青年、アッシュ・ノーザンナイトの場合も、その“お約束”からは逃れることが出来なかったらしい。
 突然眼前に現れた光景に、旅路を急がせていた足もつい止めてしまった。積極的に関わる気には到底なれない。かと言って、見なかったことにして素通りしてしまうには、あまりに気になり過ぎる。
 よってアッシュに今出来ることは、棒立ちになって口を半開きにしたまま、その光景を黙って見守ることだけだった。
 彼が立つ道の先、左斜め前に群生する低木の茂み。
 その中からアッシュの進路を阻むようにニョキリと飛び出しているのは、惚けた顔で目をぱちくりとさせている、一人の男の上半身だった。
 突き出した両腕は、水を掻き分け泳ぐようにウゴウゴと蠢いている。腹から下がずっぽりと茂みに埋まっているため、何やらそういう新種の生物であるかのようにすら見える。
 何にせよ、人気のない山道で、茂みの中からいきなり男の上半身が飛び出してくる様を目の当たりにしたアッシュの驚きは生半ではない。
 反射的に警戒して剣に手を掛けた体勢のまま、呆気に取られているアッシュの姿を、上半身だけの男の視線がバチリと捉えた。
 歳はアッシュと同じか、少し下くらいの青年である。葉っぱが絡みついた黒髪はボサボサで、赤茶の瞳が少年のようにキラキラと輝いている。目を合わせられたアッシュが何かを言うより先に、男は怪しげな手の動きを止め、あっけらかんと尋ねることには。
「ん? あんた、こんな変なとこで何してんだ?」
 どこをどう考えても、こちらの台詞である。アッシュは途端にガクリと脱力し、心の声をそのまま実の声に出す。
「そりゃこっちの台詞だ。俺はただ道を歩いていただけだが、あんたこそ、そんなところで一体何をしてるんだ」
「俺か? 俺もただ道を歩いてただけなんだけど、何を間違ってこんなことになったかなぁ」
「あんたに分からなけりゃ、きっと誰にも分からないだろうな。で、必要なら手を貸そうか?」
「そうして貰えるとすごくありがたい。実は自力じゃ出られそうにないんだな、これが」
 恥も外聞もなく助力を求める青年にすっかり毒気を抜かれたアッシュは、その両腕を掴んで引っぱってやった。ガサガサポキポキと音を立てて茂みを抜け出し、ようやく全身が自由になった青年は、装備というには軽そうな服装の背に、大きな剣を背負っている。「ううーん」と大きな伸びをして身をほぐし、青年はアッシュに笑いかける。
「あー、参った参った。おかげで助かったよ」
「どういたしまして。それで結局、何でそんなところに嵌ってたんだ」
「それがな、この茂みを抜けたら近道になると踏んだんだけど、思ったよりも枝葉が茂ってたんだよ。どうにか脱出しようとしているうちに、にっちもさっちもいかなくなっちまってさ」
 青年は身体の各所にくっついた葉や小枝や毛虫を払い落し、荷物の中から一枚の地図を取り出す。アッシュにも見えるよう水平に広げ、その上で指を滑らせながら、彼は怪訝そうに眉根を寄せた。
「おっかしいな、今の茂みを突っ切れば川に出るはずだったのに。なぁ、トゥルスに続く街道はこの辺りじゃないのか?」
 問われるが、アッシュは答えない。目は覗きこんだ地図に釘付けである。
 青年が広げる使いこんだ地図。そこに描かれた地形や、国や街や山や川の名に、どれ一つとしてアッシュが知っているものはなかった。
「トゥルス?」
「あれ、知ってるだろ? 王都だよ、王都トゥルス」
 ごく常識であるように青年は言うが、王都どころか、そんな名の都にすら、アッシュには全く覚えがない。頭を振って、正直に答えた。
「この近辺じゃ聞かない名前だな。森を抜けると街道があるが、近いのはゼフィラトって小さな町だ」
「ゼフィラト? それこそ全然知らないぞ。うーん、茂みを抜けるまでは確かに、地図通りに進んでたんだけどなぁ」
 顎に手を当て、青年は暫く悩ましげに首を傾げていたが、やがて吹っ切れたように「よし」と声に出す。
「とりあえず、元の道に戻ってみるよ。その方が迷わずに済みそうだ」
「そうか。悪いな、役に立てなくて」
 明らかな迷子をそのまま見送るのは気が引けたが、かと言って有益な情報も提供出来そうにない。
 何より、自分がこれ以上誰かに関わるべきではないと、アッシュは思った。
 しかし青年は気を悪くした様子もない。「いやいや」と片手を振って謝罪を遠慮すると、善は急げとばかり、くるりと踵を返す。
 下半身が植物の怪物と化してしまった数分前の醜態を早くも忘れたのか、彼は再び果敢にも、茂みの中に身体を突っ込ませようとして。
 その前に、ふと思い出したようにアッシュへ振り向いた。
「大事なこと忘れてた。あんた、助けてくれてありがとな! これ、良かったら貰ってくれ」
 折りたたんだ地図を旅荷にしまい、代わりに取り出した片手に乗るほどの布袋を、青年はアッシュへ放って寄越す。反射的に受け取れば見た目より重さがあり、かすかに独特の臭みが漂う。アッシュが説明を求める視線を投げかければ、青年は誇らしげに軽く胸を張った。
「俺の故郷で作った干し肉。味は天下一品だぞ」
「良いのか? 貴重な食料だろう」
「勿論、俺からの礼だ。あんた、何か顔色悪く見えるからさ。しっかり食って元気出せよ」
 ニカッ、と音でも聞こえてきそうな笑顔をアッシュに投げかけ、青年はそんなことを言う。目を瞬かせるアッシュに再び背を向け、茂みに片足を突っ込みながら、青年は今度は軽く片手を挙げた。
「あんたの旅に、トロキロス神とミルガリアの牛の加護があらんことを」
 言うが早いがヒョイと茂みへ飛び込み、葉擦れの音を遠慮なく響かせて、青年は森の奥へと消えた。
 残されたアッシュは、枝葉の揺らめきも止まった木立をしばらく眺めていたが、やがてその手に持った袋に視線を落とし、そしてまた、青年が消えていった先を見つめる。
「……牛?」
 気の抜けた声で彼は呟く。
 それと同時に、ずっと入りっぱなしだったアッシュの肩の力も、ほんの少しだけ抜けた気がした。



「白虹太陰」/透峰零様へ
 キャラクターリクエスト:アッシュ・ノーザンナイト&アトラス=ガレット





◆「Crest Red−紅い翼−」×「歪みの伝導師」

※40000HITキリ番リクエスト小説「黄昏白銀−タソガレシロガネ−」続編



 夜の路地裏に暖かな灯りが漏れる。窓枠の影で十字に切り取られたおぼろげな光が石畳の上に落ちる。
 夕餉の香り、鍋や皿から溢れる湯気と煙草の煙、賑やかな笑い声と垢抜けない音楽。仄かに微かに、鼻や目や耳を掠っては、夜の風に乗って街の中を運ばれていく。
 店の外壁の窓際に寄せて積まれた荷箱に腰掛け、片膝に左手と顎を乗せて佇む男、スメルト=ピアニーは、その心地良さにそっと瞼を閉じ、夜の街に漂う空気に浸っていた。
 彼が背にする店の名は、「銀猫亭」。この街、ホウロウの一角にある食堂兼酒場である。
 旅人であるピアニーが、“歪み”の情報を得て、連れのトットと共に都市領王国メアを訪れたのは、一週間ほど前のこと。結論から言えば完全な無駄足で、彼が力を振るわなければならないような事象は、この国では起きていなかった。
 あてにしていた報酬も受け取れず、通貨の異なる王都で身動き出来ずに困っていたピアニーは、ひょんなことからある男と知り合い、ホウロウという街と、この「銀猫亭」を紹介して貰った。
 辿り着いたこの街の人々、特にこの店の主人は、人当たりがよく親切だった。余所者のピアニーとトットを怪しむこともなく暖かく店に迎え入れ、メアでの一件を話してみれば、より新身になって世話を焼いてくれた。
 換金所や手頃な宿も教えて貰い、元の大陸へ帰る算段もついた。ようやく一安心したピアニーとトットは、今、この店でゆっくりと夕餉を終えたところである。
 トットはまだ酒場の中だ。他の客や、馴染みらしい近所の少女と意気投合したらしく、この街の話と引き換えに、彼らの旅の話をせがまれている。
 ピアニーも先まではその輪の中に混じっていたが、緊張が緩んだ所為だろう、今夜は酒の回りが早い。ふわふわと火照った頭を冷やすため、こっそりと席を外し、酒場の様子が分かるこの場所へ腰を落ち着けたのだった。
 この店の食事は美味かった。酒もまた格別だった。食材や値段がどうのではない、提供するものの腕と心遣いが分かる味だった。
 何より、湯気の立つその暖かさがじわりと身に沁みて、それがピアニーには大層快かった。
「酔いは醒めたかい?」
 蝶番が軋む音と共に窓がそっと開かれて、酒場の中からそんな声がした。ピアニーがついと首を回せば、この店の主人・空路が、窓から身を乗り出して、ピアニーへ人好きのする微笑みを向けていた。
 その両手には、白い陶製の茶碗が一つずつ握られている。湯気が上がっているものは、角切りの野菜がたくさん入った赤茄子の汁物だ。もう一方は透明の液体で、湯気も上がっていないところから見ると、ただの冷水だろう。中身をピアニーに見せながら、どちらが良いかと、空路の視線が尋ねてくる。
 まだ歳若そうに見える男だが、素朴な笑顔は彼が作る料理と同じく、心穏やかにさせてくれるような暖かさが滲んでいる。そこには、メアで出会ったあの人物に通じるものがあって、ピアニーは自然とささやかな笑みを零しながら、暖かい方の椀を受け取った。
「いただこう、心遣い済まぬな。酔ってはおるかもしれぬが、気分はかえって優れておるよ。美味い料理であったから、つい酒も進んでな」
「そうかい? 見たところ、料理がなくとも酒は進むように思えたけどね」
「お見通しであったか」
 はは、とピアニーは楽しげに笑い、つられて空路も朗らかに笑った。そして二人揃って、夜の街並みへ視線を送る。人通りはだいぶ少なくなってきたが、街明かりはまだ賑やかだ。点々と夜闇に灯る光が、ホウロウの路地や家々を控えめに照らし出す。空路は後ろに酒場の笑い声を背負っているが、会話の大半がぼやけたように聞こえるこの場所は、音はあっても心静かでいられる。
「この街にはいつまで?」
 空路が軽い調子で尋ねる。ピアニーもまた、さらりと答える。
「明朝には発つよ。留まる理由もないのでな」
 その返答に、空路は水で喉を潤しながら、「そうかぁ」と、特に意見をするでもなく呟く。彼の動きに遅れて、ピアニーが左手の茶碗に口をつければ、冷え始めた身体がじんわりと温まった気がした。
「心残りがあるとすれば、世話になった者に碌な礼も出来ぬまま行かねばならぬことだな。この国では、お主や他の皆々に随分と助けられた。何も返すものを持たぬことが、ひたすらに口惜しい」
 まだ酔いが残るのか、ピアニーが苦笑しながら言えば、空路は空になった椀を軽く振りながら、からからと笑った。
「そんなことを気に病む必要はないさ。あえて返して貰うなら、いつかまたこの街に来た時には、きっとこの店でたっぷり酒を飲んでいってくれよ」
 空路はピアニーの顔を覗きこみ、ぱちりと片目で目配せをする。悪戯っぽい彼の仕草に、ふ、とピアニーは口元を綻ばせた。
「そうだな。きっと、そうさせて貰うとしよう」
 緩やかな風が路地を通り抜け、ピアニーの白い外套と銀の髪をなびかせる。頭上を仰げば、家々の屋根の隙間に覗く夜空に、綺麗な三日月が浮かんでいる。
 すう、と、ピアニーは深く息を吸った。
 道行く人には聞こえないほどの小さな声で、けれど、丁寧で明瞭な歌を、彼の唇が紡ぎ出す。

 銀色猫が夜を行く
 銀鈴鳴らし夜を行く
 銀河の乳で腹は膨れぬ
 いつか誰かが気付くかな

 銀色猫が街を行く
 銀輪仰ぎ街を行く
 銀燭辿り途方に暮れた
 ここに居場所はあるのかな

 銀色猫は店の中
 銀鱗載せた皿もある
 銀の涙が一つ零れた
 またここに来ていいのかな

 美しい声だった。美しい響きだった。美しい以上に、優しい歌だった。
 最初は驚いたように目を丸くしてピアニーを見た空路は、けれどやがて、窓枠に頬杖をついて、幸せそうに目を閉じてその歌に聴き入った。
 旋律の余韻はほろりと美しく最期を迎え、歌い終えたピアニーは、この街の空気を楽しむように、酒場の壁に寄り掛かって風景を眺める。
「十分過ぎるほど、返して貰ったよ」 
 片眉を軽く上げながら呟いた空路の言葉は、ピアニーの耳には届くことなく、夜の街へと滲んで消えた。



「西色綺譚」/双たいら様へ
 キャラクターリクエスト:空路=セイレン&スメルト=ピアニー





◆「不完全漏刻・古の器」×「NAVIGATOR44」



 三月だと言うのに彼岸花が咲いている。丘に巻きつくようにぐるぐると伸びる舗装路をバイクで一気に登り切った先では、青い大海原と春の青空を遠く同時に見渡せた。
 路肩にバイクを止めて両手でヘルメットを外せば、冷たい風が額の汗を攫い、足元の赤い花弁がヒラリと宙を舞う。
 辺りに人がいる様子はない。海の遠鳴りか、風が草木を撫でる音か、ザザ、という微かな音が前から後ろへ流れていく。
 気持ちの良い場所だ。サイレンや銃声の絶えない毎日の喧騒も疲れも忘れて、快い温さの空気にいつまでも浸っていられそうだ。

 彼岸花が咲き乱れる野っ原のド真ん中に、不自然にも程があるシステムキッチンさえ存在していなければ。
 
 オレ、こと、機動捜査課ナビゲータ―bQ9・ゲンは、バイクのハンドルを握って路肩に突っ立って、三メートルほど先の土の上にドンと腰を据えるL字型のキッチン設備という異様な光景を、複雑すぎる心境で黙って見つめている。
 何でこんな屋外にキッチンだよ。インフラは一体どうなってんだ。後ろに大容量冷蔵庫完備とか至れり尽くせりか。そもそも。
 ここは、一体何処なんだ?
 バイクに跨って片足を地につけたまま、オレは今更ながらに愕然とする。
 人工物で埋め尽くされたオレたちの街に、こんな場所があるはずはない。もう何百年も前に失った。いくらバイクを転がしたって出会えるはずの無い風景の中に、オレはどこからどうやって飛び込んできたのだろうか。
 そこで唐突に思い出した。オレは、以前にもここに来たことがある。
 思い出すと同時に気付いた。オレをこの場所へ誘った犯人が誰なのかが。
 片手を額に置きながら天を仰いで、大きな溜息一つ。キッチンの横、彼岸花に埋もれた影を見つけ、オレはその足先をじろりと睨んで声を掛ける。
「またお前かよ、ユトピー」
 赤い花弁の中からのっそりと身を起し、顔の上に被せていた網代笠をヒョイと持ち上げながら眠そうな表情でオレを見たのは、蒼い瞳が印象的な黒衣の人物だった。
「遅かったな、機動厨房課ナビゲーターbQ9、ゲンよ。我は待ちくたびれたぞ」
「怪しい新所属を捏造すんな、何だその出前専門っぽい部署? 待ちくたびれたも何も、お前が勝手にオレを連れてきたんじゃねぇのかよ」
「そこはそれ、企画ということで流すのだ。ホレ、無礼講というやつだぞ」
 さらりと「企画」なんていうギリギリどころかアウトの単語を持ち出す、僧侶風のこの人物の名はユトピー。オレが知っていることと言えば名前くらいのもので、それ以外のことは何も知らない。
 ただ分かるのは、神出鬼没なこいつが「ただの人間」じゃあないだろうことと、得体の知れない不思議な力を持っているらしいこと、そしてもう一つ。
「さて、ゲンよ。我は味噌汁が飲みたいぞ。それも白味噌のな。よって今すぐ、ここで味噌汁を作るのだ!」
 こいつがやたらと、オレが作る味噌汁に執着しているということだ。
「またそれかよ! 大体、白味噌の味噌汁なら先月も食わせてやっただろうが!」
「あれはあれ、これはこれ、だぞ。今回我が求めているのは、バレンタインデーのお返しなのだからな。ホワイトデー、いこーる、ホワイトMISO、というわけだ」
 主張は大体分かったが、納得は出来かねる。オレは一か月前、確かにユトピーからチョコレートを貰っているが、直後に味噌汁を食わせてやってもいる。何で野郎から貰ったバレンタインチョコのお返しに、こんな野っ原で軟禁?されてまで味噌汁を作らなけりゃいけねぇんだよ。
「嫌だっつったら?」
「今回、バレンタインでチョコを贈った者は、リクエストをすればホワイトデーのお返しをして貰えると、どこぞの管理人が言っていたぞ」
 ……その切り返しはナイだろ。
 どうやらオレの負けらしい。腹を括り、バイクから離れてキッチンの前に立ち、グローブを外して腕まくりする。流しの蛇口を捻ってみれば、当たり前のように綺麗な水が出た。呆れながらも念入りに手を洗ってから、気を新たに、作業を開始する。台所に立ちながらにして屋外の風景を一望できるとは、贅沢を通り越して何ともシュールだ。
 ストックケースや冷蔵庫を開いてみると、予想外に豊富な食材が揃っていた。冷蔵庫の一番目立つ場所には、所望するだけあって、白味噌がみっしり詰まったパックがデンと置いてある。少し悩んだ末に、ストックケースから昆布と鰹節と手毬麩、冷蔵庫からは白味噌と絹豆腐、そして菜の花の束を取り出した。新聞紙でくるまれているあたり、変に家庭じみていて気が抜ける。
 昆布と鰹節で出し汁を作る傍ら(手順は前にも説明したから割愛)、別の鍋に水を張って火に掛け、沸騰を待つ間に手毬麩を水に浸す。豆腐は一パック丸ごと、大きめの賽の目切りにしてやった。今日は味噌汁を鍋一杯作ってやるつもりだ。
 沸騰した鍋で菜の花を茹でて水に取り、適当な長さのざく切りにする。出し汁に豆腐と戻した手毬麩を投入し、ひと煮立ちさせたところで白味噌を溶き入れ、味見をしつつ火を止めた。味噌の香りが鼻孔をくすぐる。
 流しの横に置いてあった味噌汁椀に汁をよそい、下茹でした菜の花を乗せれば、春らしい、菜の花の味噌汁の完成だ。
「みそしる!」
 出来上がりを察知したのか、網代笠を後ろに落としながらユトピーがぴょんと飛びついてきた。身長百九十近いオレよりも背が高い男が、たかが味噌汁一杯に目の色を変える姿に、オレは思わず苦笑する。突き出して来た両手に、味噌汁をなみなみ注いだ椀を渡してやった。
 待ちきれないとばかりに、ユトピーは椀に口を付けて味噌汁をすする。熱いだろうに火傷をした様子もなく、箸も使って具まで掻き込んで、あっという間に一杯をたいらげた。
「ゲンよ、おかわりだ!」
 目を輝かせ、ぷはぁ、と満足げな吐息を漏らしながら、ユトピーは綺麗に空になった椀をズイと差し出してくる。
 こうまで喜ばれると、作り甲斐があるのは確かだ。綻ぶ口元を隠そうとしてムズムズさせながら、「へいへい」とオレは味噌汁を注ぎ足してやる。菜の花も汁も、まだまだたくさんある。
 二杯目を受け取ったユトピーはオレに背を向けてその場に座り込み、地面に胡坐をかいた。まるで酒か茶でも嗜むように、風景を楽しみながらゆっくりと味噌汁を啜る姿が、妙に絵になっている。花見酒ならぬ、花見味噌汁、とでも言うべきか。
 オレもお相伴に預かるかと、別の椀に自分の汁を注ぎ、ついと顔を上げたところで。
 目に飛び込んできた光景に、オレは目を見張る。
「参ったな、オイ」
 辺り一帯を埋めていた彼岸花はいつの間にか消え、代わりに、野原一面に咲き乱れていたのは菜の花だった。
 空と海の青さを背景に、菜の花の黄色と黄緑が鮮やかに映える。春の風が吹き渡り、黄色い花弁が揺れて輝く上に、白味噌の柔らかい匂いがフワリと香った。
「うむ。この味噌汁はまた、格別にうまいぞ」
 満足げにユトピーが言う。何がどうなっているんだ、だのと、考えても分かりそうにないことを考えるのは止めにして、オレは片手で持った椀をそっと傾ける。
 我ながら、格別に美味い味噌汁だった。
 少し悔しいことにこの味は、今、オレの目に見えるこの眺望とは、きっと無関係じゃあない。



「君が望む世界詩」/両性こたつむり様
 キャラクターリクエスト:ユトピー&ゲン
 お返しリクエスト:「白みそを使った味噌汁」





◆「ものかきギルド・ストーリー」×「???」



 そろりそろりと息と足音を殺し、盗人のように酒場の中へ踏み込んだアルト=ロングトーンは、両手を後ろに回して壁際に張り付くという不審なポーズのまま、思わずカチリと固まってしまった。
 目を点にして何度も瞬きし、挙動不審にキョロキョロと酒場中を見回すが、幸か不幸か、酒場にも厨房の中にも、今はアルトを入れても二人の人間しかいないようだ。
 幸いなのは、このアルトの怪しい動きを誰にも見咎められなかったこと。不幸なのは、酒場に入った途端アルトの視界に飛び込んできたこの光景について、説明を寄越してくれそうな人物が誰一人いないことである。
 果たしてアルトは、ギルドマスターも他のメンバーも見当たらない真昼の酒場で、大机にべったりと突っ伏してウェーブした黒髪をゾロゾロと机上に広げ、ブツブツと暗い声で呟き続ける女に、一体何と声を掛けていいものだろう。
「うう、わらわは本当に駄目な魔法使いなのじゃ……もう魔法使いを名乗るのを止めるのじゃ、今日からわらわはアホウ使いと名乗るのじゃ……」
 テーブルの上に投げ出された腕と着物の袖の間から、余裕があるのかないのか分からないような、ズンと沈んだ声が漏れ聞こえてくる。誰に向かって言ってるんだろうとアルトは思ったが、反応を求めているようでもないので、恐らくは完全な独り言だ。
 海底に這いつくばっているアメフラシを彷彿とさせるような姿になって嘆くのは、マスターを除くギルドメンバーの中では最年長、魔法使いのリーチェルートである。
 己の能力に自信がなく、失敗をしては落ち込みがちな彼女の「ネガティブモード」は、ギルドでは珍しくもない光景だ。リーチェルートも慰め欲しさに落ち込んでいるわけではないし、放っておけばそのうち復活する、持病のようなものだとはメンバーたちも認識している。
 だが、今日このタイミングで、こう来るとは。とてもじゃないが、気楽に話しかけられるような雰囲気ではない。
 背中の後ろに隠し持った物をちらりと確認し、突っ伏すリーチェルートを遠くから眺め、アルトは青い髪をガシガシと掻いて途方に暮れた。
 アルトの白い法衣に隠れてカサリと微かな音をさせるのは、淡い紫と水色の薄紙でラッピングされた小包である。アルトが何のために二階の自室から降りてきたかと言えば、この包みをリーチェルートに渡す、たったそれだけの目的だ。だが、それを今実行するか? 後回しにするべきか? というか、先に彼女を慰めるなり励ますなりするべきではないのか?
 とりあえず、話しかけてみよう。渡すタイミングは、それから考えることにする。包みは後ろ手に匿ったまま、アルトは下を向いてそっと深呼吸してから、腹を決めてガバリと顔を上げた。
 その瞬間に噴き出しそうになる。
「は……っ?」
 つい大声を上げそうになり、アルトは慌てて片手で口を押さえる。抜群のタイミングでリーチェルートが盛大に洟をすすったため、彼女はアルトの声には気付かなかったようだ。
 意味もなく安堵しながら、改めて視線を戻したアルトは、酒場の奥へ目を凝らし、ズルリと脱力して肩を落とす。
 リーチェルートがべっちょりと伏しているテーブルを挟んだ向こう側、酒場に昼の日差しを注ぐ開け放った窓の外では、深緑色の髪の青年が一人、目から上だけを覗かせて、瞬き一つせず酒場の中を凝視していた。
 無表情が不気味さを煽る、深緑色の瞳でアルトを見つめていた青年は、ひょいと片手を窓の上に出し、アルトへ向けてチョイチョイと手招きをする。
 アルトは渋い顔をしながら、抜き足差し足、手近な窓まで近寄って、出来るだけ静かに窓枠を乗り越えてギルドの裏庭へと飛び降りた。振り返って、身を屈めながら酒場の中を覗いてみたが、リーチェルートは髪に顔を埋めたままグズグズブツブツと言っている。流石に気付けよ、と内心でツッコミながら、アルトは壁伝いに庭を歩き、ギルドの外壁の角で待っていた青年と合流する。
「ったく、驚かせやがって。来るなら普通に玄関から来いよな、リュー」
 少し潜めた声でそう怒られて、無表情な青年、リュー=ウィングフィールドは、片手でアルトを拝んで「申し訳」と全く申し訳なくなさそうな謝罪をした。
「久しぶり、アルト。元気そうで何より。大兄さんが、アルトがまた心配性をこじらせて無茶してるんじゃないかって心配してたよ」
「どういう心配だよ? お前こそ無茶すんなよって、シンに伝えてといてくれ。それと、リューお前、また休みナシで働きづめになってねぇだろうな? たまには仕事忘れてキッチリ休息とれよな」
「それに関してはノーコメントにしとく。大兄さんには、アルトは相変わらずのアルトだったって伝えておくよ」
「だからどういう意味だよ? まぁ良いや、それでリュー、誰かに何か用か? 今は皆、ほとんど出払っちまってるんだけど」
 放っておくといつまでも続きかねない会話を打ち切って、アルトが尋ねた。すると、リューはちらりと背後の壁へ視線を送る。
「おれの目的の相手はいるみたいだから大丈夫。ただ、目的を果たせそうな雰囲気じゃないっていうのが問題かな」
 その仕草だけで、アルトはピンと合点がいった。
「お前もリーチェに用事か?」
「“も”ってことは、アルトもなんだね。酒場で挙動不審にしてたのは、声を掛けるタイミングを計ってたから? あんまり面白いもんだから、通報するか、我が家で話題にするか、ギルドのみなさんに言いふらすか、それとも全部実行するか、結構真剣に悩んだんだけど」
「ずっと見てたのかよ? どれも止めてくれ、マジで頼むから!」
 途端に赤面し慌てふためくアルトを、たぶん愉快そうに眺めながら、「それはともかく」とリューは話題を戻す。
「おれはバレンタインのお返しに来たんだけど。リーチェは何かあったの? 本命からホワイトデーのお返しが無くてガッカリ、って感じじゃなさそうだね」
 リューは片手に持っていた可愛らしい紙袋を顔の横にぶら下げて見せる。去るバレンタイン、リーチェルートはギルドのメンバーや顔馴染みの男性たちに、真っ黒に焦げた手作りクッキーを配ってくれた。それはアルトやリューも例外ではなく、二人で苦いクッキーに顔をしかめたのも良い思い出である。
 本日ホワイトデー、律義なリューは、焦げたクッキーのお返しにわざわざ出向いてきたらしい。実はアルトの目的も全く同じで、彼は紫と水色の小包をリューに見せながら肩をすくめた。
「俺もコイツを渡そうと降りて来たんだけど、そうしたらすでにあの調子でさ。本命云々は知らねぇけど、午前中に一人でクエスト受けてたみたいだから、大方、そこで何か失敗したんだろうな」
「成程。あの空気の中、正面切って渡すのは、確かに抵抗があるね」
「そういうこと。しばらくすりゃ復活するとは思うけど。何なら、リュー、それ預かっとこうか? リーチェが元気になったら一緒に渡しとくから」
 何度も出向かせるのは申し訳ないという配慮からのアルトの提案だが、リューはその申し出には答えず、少しの間何か思案していたかと思うと、アルトが持つ包みを指差して尋ねた。
「ちなみにアルト、その中身、何?」
「へ? 市販のキャンディーだけど」
「奇遇だね、おれのもキャンディーなんだ。卸価格で大袋を買いつけて自分で詰め合わせてみたんだけど、ラッピングがイマイチだと思ってたところなんだよね」
 眉目秀麗なウィングフィールド家次男ほどではないにしても、リューもそれなりに女の子から人気があるらしいことはアルトも知っている。わざわざ大袋を買うと言うことは、結構な量のお返しを用意したのだろう、というのはまぁどうでも良いとして。
「だったらなんだよ? ラッピング?」
「渡し方にもう一工夫したいな、っていう話だよ」
 首を傾げるアルトの疑問に、答えにならない答えを返し、リューは自らが持った袋をごく軽く投げ上げてからパシリとキャッチした。
「元気が出るのをただ待ってるなんて、アルトらしくないんじゃないの」
 流し目を送りながらの、挑戦的なリューの投げかけに、アルトはちょっとだけポカンと立ち尽くし。
 それから、歯を剥いてニヤリと笑った。
「確かに、その通りかもな」


 独り言で弱音を吐き続けるのもそろそろ疲れ、しかしまだ気分は浮上せず、机に額を押し付けたまま動き出せないリーチェルートの黒髪を、窓から急に吹き込んだ風がふわりと揺らした。
 それと同時に、彼女の耳に届いたのは、聴き慣れた男の声。
「リーチェ。おい、リーチェ!」
 重い頭をのそりと持ち上げ、ぼやけた目を擦ってみれば、正面の窓から顔を覗かせているのはアルトだった。腕の中に顎を埋めたまま、彼女はグズグズと言う。
「なんじゃ、アルト。わらわに何か用かの? 欠陥魔法使いが何の役に立てるとも思えないのじゃが」
「んなくだらねぇこと言ってんじゃねぇよ、この馬鹿。それよりリーチェ、気を付けろよ。開けっぱなしにしてると、窓からアメが降り込むぞ」
「雨?」
 唐突な警告に、彼女はきょとんとしてしまう。外は明るい昼の日差し。例え窓を全開にしていようと、雨の心配など無用に思えたが。
 次の瞬間、アルトは窓の下から、半透明の球体を取り出した。それはアルトの頭ほどの大きさがあり、白い光を柔らかに放つ不思議な物体。よくよく見れば、その球を抱えるアルトの身体も、全く同じ白い光を纏っていた。
 防御球。アルトお得意の魔法結界だ。
 その白い球体の内部には、その中心を覆い隠して、薄紫と水色の紙が敷き詰められていた。
 目をぱちくりするリーチェルートをさらに混乱させるように、アルトの後ろから不意にひょっこりと現れたリューが、軽く右手を振って。
「いくよ」
 緑色に光る魔法の風を生み出した。
 同時にアルトが防御球から手を離す。リューが室内へと送り込む緑の風にぶわりと運ばれた白い結界は、大きな大きなシャボン玉のように宙を舞って、その動きを思わず目で追ったリーチェルートの頭上まで飛んで。
 そこで、パチンと割れた。
 白と緑の光が弾け、ハラリと紙が舞い飛んだ中からは、色とりどりの包装紙でくるまれた何十個ものキャンディーが飛び出した。
「は」
 ポカンと硬直したリーチェルートの上から、大量のアメが降り注ぐ。パラパラ、ポトポト、ザラザラ、コロコロ。それは土砂降りのようにリーチェルートの顔面を容赦なく打って、そしてすぐに止んだ。
 大量のキャンディーの中に埋もれ、髪や着物からぽろぽろとアメを零しながら、リーチェルートは声を失う。
 呆然としたまま顔を正面に戻せば、窓の向こうから酒場を覗き見るアルトとリューが、揃って片手を挙げて見せた。
「ハッピーホワイトデー!」
 手近にあったキャンディーを徐に一つ摘みあげ、まじまじと眺めたリーチェルートは。
「……馬鹿はそっちの方なのじゃ!」
 プッと噴き出し、笑顔で威勢よく二人を罵ってから、腹を抱えて笑い始めた。
 顔を見合わせたアルトとリューは、リーチェルートからは見えない窓の下でこっそり、コツンと拳をぶつけ合う。
 酒場の床に散らばり転がった無数のキャンディーが、リーチェルートの笑い声に反応するように、小さく楽しげに揺れ続けていた。



「カゲナシ横町」/空色レンズ様
 キャラクターリクエスト:リーチェルート&(アルトorリューの相手指定なし)





 たくさんのご参加ありがとうございました!








[ IndexAboutバレンタイン企画頁 ]

inserted by FC2 system